Ⅰ はじめに感動ありきA(8)

Pピリ将FINAL

 

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「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

 

Ⅰ はじめに感動ありきA(8)

 依田紀基九段は『プロ棋士の思考術』(PHP新書)で、一番大切なものとして、「感動」・「繰り返し」・「根本から考える」・「工夫」・「感謝」・「健康」・「根気」・「虚仮の一念」という「8つのK」を挙げています。

 私はこの「8つのK」にいたく感動させられました。普通はここまで深く感動しないだろうと思うのですが、にもかかわらず私が心の奥底から震え上がり、共鳴することができたのは、おそらくこれまでの自らの体験とシンクロしたからなのだろうと自己分析しています。

 私の場合、将棋だけで感動を得ることはありません。必ず将棋プラスアルファで感動します。なぜなら、私自身はプロの棋士ではないから。でも、私自身は囲碁や将棋のプロではなくとも、他の分野ではプロなので、他の分野と関連づければ、心を動かすこともあるのです。

 依田九段の「8つのK」に心を動かしたのは、まず第一に、囲碁だけに当てはまることではなく、きわめて自然で、普遍的なことばかりだったから。

 感動がなければ、いくら繰り返してもうまくいきません。感動しても、繰り返しがなければ身につきません。感動して繰り返しても、根本から考えることがないと薄っぺらいです。工夫がなければ飽きますし、感謝がなければ社会的に浮かばれません。健康がなければ、すべては終わる。根気がなければ、持続力を味方につけることができず、虚仮の一念がないと勝負どころで踏ん張りが利きません。

 その反対に、この「8つのK」を手にしたら、どうなるだろうと想像してみました。そして、「8つのK」以外に手に入れたいものがあるかと自問自答してみました。そのようなものは、少なくとも私にはなく、「8つのK」を手に入れることを至上の目標とし、将棋はあくまでもその一手段であると考えるようになりました。

 すると、どうしたことでしょう。これまで伸び悩んでいたのが嘘のように、自分自身が理想とする境地に到達するようになりました。結果に満足するというよりは、プロセスに満足しています。

 この8つのKと出会って、はや10年以上の歳月が過ぎました。その間、将棋ノートを新調する度、その見返しに、この「8つのK」を揮毫し続けてきました。

 少なくとも、私はこの「8つのK」はもはや借り物ではなく、自らの声と言葉で説明できるものになってきたと自負しています。できれば、入れ墨にして彫りたいと思っているぐらいですが、肌の表面に彫るのではなく、心の一番深いところを抉り、刻んでおきたいと念じています。

 こういうことをメンタルと呼ぶのだとしたら、あらゆる競技はメンタルがすべて!

 ちなみに、「虚仮の一念」は、「こけのいちねん」と読みます。一心不乱に打ち込むことを言い、要は、馬鹿のひとつ覚え。「虚仮の一念、岩をも穿(うが)つ」という表現もあり、最後の最後は気持ちだということがよく伝わってきます。

 私が「8つのK」に感動した最大の理由は、これまでの人生を「虚仮の一念」だけで渡ってきたと感慨深く思うと同時に、それを痛く反省させられたからです。

 思うに、「虚仮の一念」は、最終兵器。その前の7つのKさえ十分にあれば、8つめのKに頼り過ぎずに済むのではないか。厳密にいえば、これが私の後半生に課した人生のテーマということになります。

 もちろん、最終兵器の「虚仮の一念」もしっかりとスタンバイしてはおきますが、それ以前の7つのKをできうるかぎり充実させることを目標に日々、研鑽しております。そういう気宇壮大な目標を立てると、気持ちが奮い立ち、日々が楽しくて仕方がなくなるのです。