Ⅳ 形勢判断を見直そう(17)
Pピリ将FINAL
「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)
Ⅳ 形勢判断を見直そう(17)
ソクラテスに「線分の比喩」というものがあります。
あらあら、ずいぶん高尚な議論だなあ、と静かに閉じようと思われた方、しばしお待ちくだされ。
難しい話をしようと思っているのではなく、アイデアをちょっとだけ借用しようとしているだけです。
というわけで、極限早わかりで説明してしまうと、太陽が支配する世界と、そうでない世界とがあるというのです。
太陽が支配する世界は、目に見える世界。「可視界」と訳されているから難しく聞こえるだけで、おてんとうさまが照っていたら見える世界という意味ですね。
そうすると、そうでない世界は、夜の世界、闇の世界ということになりそうですが、これを「可知界」という。目に見える世界と目に見えない世界があって、後者を「善」と体系づけるわけです。善は目に見えるかというと、そうではありませんね。目に見えるものだけで判断してはいけないよ。
世界一わかりやすくソクラテスのイデアを解説すると、こんな感じになるでしょうかね。
いや、今の目的はソクラテスの理解ではなく、大局観のお話でした。ロジカルに分析できる読み、PNと、大局観に基づく洞察、VNについての考察を類比するために、ソクラテスを持ち出してみたというまでのこと。
やっぱりわかりにくいや、というのなら、ここで閉じてくださっても結構ですが、よろしければ、もう少しだけ、お付き合いくださいませ。
どうして「線分の比喩」というかというと、線分の両端をAとBとすると、その間にCという点を打ち、線分を分割する。
ACが太陽の世界で、CBが洞窟の世界というわけです。で、さらにそれぞれの間にDとEという点を打ち、DCとAD、EBとCEに分割する。
DCはピスティスというのですが、物自体。ADはエイカシアーといって、似せたもの、似姿になります。たとえば、将棋の駒に光を当てると、影ができますよね。駒自体がDCで、その影がADです。
他方、EBはノエシスまたはエピステーメーといい、議論の対象となるものなどを指し、CEはディアノイアといって、計算して算出したり補助線を引いて理解したりすることを指します。
ギリシア語の難しい用語は、今回はどうでもよろしい。平たくいうと、太陽の世界にも夜の世界にもそれぞれ2種類あって、それ自体とその影があるというわけです。太陽の世界に影があるのは幼稚園児でも知っているでしょうが、闇の世界に影があるというところがオシャレなところ。
見ればわかる太陽の世界でも、よく見ないと、物自体なのか、その写像なのかが判然としない。そして、闇の世界でも、同様だということを示唆しています。
大局観とは比喩だと喝破した私は、ここでいよいよ将棋に置き換えてみたいわけですが、将棋には見てわかるレベルと、そうでないレベルがある。
まとめると、こうなります。
AC 昼(現状把握と読みの世界)
DC 現局面
AD 前後の手順
CB 闇(大局観と第六感の世界)
EB 投了図
CE 感想戦
現局面の分析をACとしましょう。DCは写真に撮ることができますし、図面に起こすことができます。ADはそこに至るまでの過程と今後予想される変化手順。これは符号で表すことができます。
つまり、ACは現局面を中心とした領域ということになります。
対して、CBは将棋の神様のみぞ知る領域です。
投了図がどうなるか、現時点で対局者は知る由もない。この最終形をEBとしましょう。
このEBを何とか少しでも理解しようと努めることがCEになるというのが私の解釈です。つまり、煎じ詰めると、EBが投了図、CEは感想戦です。
ここでも図面や符号は無益ではないでしょうが、万能ではありません。つまり、結果論として捉えるかぎりにおいては有効だとしても、将棋を指している最中においては、大局観や直観というよりほかにないものです。
私のブログがしばしば符号なしで記述される理由は、主としてこのCBを問題にしているからです。
目に見える可視界から、目に見えない可知界へとトランスすること。そのための最良の方法は、感想戦以外にないという結論にはっきりと達します。
ただし、その感想戦の質を高めるためにどうするかといえば、ACとCBを区別すると同時に、両者をともに追いかけること。言い換えれば、具体的な手順ばかりに拘泥するのではなく、手順に還元できない部分、大局観を磨こうとする姿勢に尽きると思います。
わからない局面、難しい局面で、どう指すか。それを感想戦で掴めるかどうか。このようににテーマをはっきりさせておけば、あなたの将棋は飛躍的に上達していくことでしょう。
質の高い感想戦は、優れた大局観を身につけるために不可避な上達法です。