Ⅳ 形勢判断を見直そう(14)

Pピリ将FINAL

 

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「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

Ⅳ 形勢判断を見直そう(14)

 今日、若い人と話す機会がありました。将棋の話ではなく、大学院受験の話。

 難解な論文を読む上で、どのような準備が必要かというテーマで、一緒に考えたのが慣れと知識と読解力の腑分けについてでした。

 軸は2つあって、最初は難しいけれども、多読で読み慣れていくうちに自然と知識が蓄積され、身についてくるというのがx軸。予備知識はなくとも、読解力を上げることにより、論理を追うことができるというのがy軸。

 そして、このx軸とy軸を養うには、それなりの時間が必要で、短期的に身につけようとしても難しいので、早いうちから取り組むことが必要だという認識にたどりつくことができました。

 この話をしている間、私の脳裏には、将棋のこと、このブログのことが常にありました。というのも、これはまさに棋譜並べのことを言っているからです。

 棋譜並べというと、よく上級者向けの学習法だと返ってくるのですが、そうではありません。まず慣れから少しずつ知識を積み上げていくというx軸と、読みや大局観を養っていくy軸というふうに置き換えて考えてみると、酷似しているということに気がつくわけですが、どうして上級者向けと決めつけるのかが私にはいまひとつ解せない。

 そもそも上級者なんていうのは、どんな勉強法を使ってもそれなりに強くなれるはずなので、むしろ中級者に私は棋譜並べを推奨したいと考えています。一局全体の流れ、ストーリーを大づかみにとらえることにより、大局観が養われるからです。

 やみくもに詰め込むことはよくなく、きちんと整理した上で入れていく必要があるという話を前回しました。ただし、その前提として、棋譜並べを位置づけたい。まずは多読である程度、慣れ、親しみ、少しずつ知識を身につけていく。あるいは、一局の流れやストーリーというもののイメージを自分なりに持つようにする。そのうえで、はじめて整理した知識のインプットが始まる。そう考える私は、いわば肩慣らし、準備運動としての棋譜並べを中級のうちから取り入れる必要を解きたいのです。

 実は、強い人がそうでない人を指導する場合に見落としているのは、観戦するという習慣を与えることの重要性です。棋譜並べは観戦の手引きとしても非常に重要なので、百歩ゆずって上達法というものに役に立たないもの立ったとしても、やはり欠かせないものなのではないでしょうか?

 ところで、AIの世界では、バリューネットワーク(VN、大局観)とポリシーネットワーク(PN、読み)という言葉が用いられているようで、それは囲碁の世界においては、いくつかの棋書によってすでに周知のようですが、しかし、将棋界ではまだまだ知られていないですし、また、知られていたとしても、それが必ずしも有効な上達法の開発とは結びついていない現状にあります。

 私の高速棋譜並べにせよ、全体の上達法のデザインにせよ、まずはVNからというのが持説。高速棋譜並べだったら、まずは読みを入れず、解説も読まずに、とにかく並べるだけ並べてしまう。そしてそれを反復して、うすらぼんやり全体像をつかむことに集中する。全体の上達法のデザインの場合なら、まずは棋譜並べでうすらぼんやり全体像をつかむことに集中する。何たら戦法だとか、何とかの手筋とか、そういうことは基本的には後回し。

 しかるのちに、PNを持ってくる。この段階へ来ると、よく整理分類した知識を効率よくインプットしていくということを重視しつつ、未知の局面でも自らの思考で読み進めることができるようになることを志向する。それが全体の上達法のデザインだ。

 また、高速棋譜並べに即して説明しなおすと、すらすらスムーズに淀みなく流れるように並べられるようになったら、解説を読んだり自らうんうんうなって考えたりしてPNを鍛えていくという段階です。

 そもそもこのように俯瞰して見るということ自体がVN、すなわち大局観なのですが、以上をまとめると、まずVN、次にPNという順序を徹底するということに尽きます。

 もちろん、これらがダイナミックにローリングする、動的に渦を巻くように螺旋状に進化(深化)していくというのが究極の理想形なのですが、最初のイメージは「VNからPNへ」という公式にまとめることができるというのが私の結論です。

 昔、オーケストラにいたとき、内輪での初見大会というものがありました。はじめてもらった譜面を初見、すなわち予習なしにいきなり演奏して合奏するという無茶苦茶なイベントです。当然、うまくいくわけはありません。個々が下手くそな上、全体のバランスなんてあったものではないのですから、壊滅的、悲惨で最悪な演奏となります。

 ところが、この初見大会があるからこそ、全体のゴールが見えるわけですね。そう、細部を磨いていって、どうすれば全体へたどりつけるかを考えることができるわけなのです。

 ゴルフのように、何回刻んでいけば、カップにボールを沈めることができるのか。そういうことが見えてきてはじめて、クラブの選び方やスウィングのフォームなどディテールの詰めが始まるわけです。

 もちろん、まったくの初心者や初級者では、そういうことはできません。そもそも楽器自体が弾けないのに、初見大会なんて、無謀です。けれども、ある程度、楽器が弾けて楽譜が読めるというところまで来たら、初見大会に参加するべきでしょう。

 この初見大会を経験するまでの私は、細かいところに固執しがちだったのですけれども、初見大会を経験したからは、一気にパッと視界が開けるようになりました。大局観を手に入れた瞬間でした。その時は、その後の人生で指揮台に乗る機会が何度もやって来るとは夢にも思いませんでしたが、大局観を手に入れるという事件がなければ、そうはならなかったわけなので、このような転回は、将棋においても不可欠だと考えています。

 音楽において楽譜が読めるようになるのと同様、将棋においては棋譜を読めるようにする必要がありますが、棋譜を読めるようにするための手段としても棋譜並べ以上のものを私は知りません。棋譜並べ、万歳。