Ⅰ はじめに感動ありきA(7)

Pピリ将FINAL

 

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「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

 

Ⅰ はじめに感動ありきA(7)

 このブログには、他のブログと違って、粘り気が強いところがあると思います。実際、水、というよりは、樹液に近いイメージを持ちながら執筆しています。

 私の将棋は、まさにこの粘り(レジリエンス)を信条としているので、それが文体にも乗り移っているのかもしれません。

 しかし、このブログの粘り強さは、それだけで説明することはできないと思うので、もう少し掘り下げてみることにしましょう。

 このブログが粘り強い理由は、この「掘り下げる」ということとも関係しますが、具体的に3つのことを意識しています。

 1つは、「繰り返しを厭わない」。

 同じことを何度も繰り返し主張します。それはどうしてかというと、本当に言いたいことは、手を替え品をかえて主張するのが当然だからです。世の上質な評論は、そのようにして成立しているはずです。優れた音楽も同じテーマを繰り返し変奏するわけです。このような繰り返しを恐れ、反復を回避する傾向が現代社会にはありますが、そのような現代社会に背を向ける勇気がこのブログにはあります。いわゆる「お子様ランチ」では満足しないのです。単なるハウトゥではなく、本格的な評論を目指しています。

 2つめの理由は、「根本から考える」。

 私が若いころから哲学を偏愛し、哲学的に思考する習慣を持っていたことが、他の多くの日本人との違いとなっているはずです。もちろん、学をひけらかすつもりは毛頭なく、学問がなくとも根本から考えることを心がけている方は多くいらっしゃいます。しかし、学のありなしを問わず、根本から考える人と、そうでない人がいることはたしかで、後者に粘りがないのは明らかです。

 3つめの理由は、「染み込ませる」。

 染め物をしたことがある人ならばわかるはずですが、「染み込ませる」ということは、一大難事です。「血肉化する」と言い換えてもよいですが、他者と自己を渾然一体化するためには、途方もない時間とエネルギーを要します。

 たとえば、このブログの出だしは、ある囲碁棋士の教えをなぞったものです。しかし、以前のブログが単なるなぞり書きだったとすれば、今回のブログはそれよりは漸進しているはずです。自ら経験し、自ら思考して、自分なりに心身に染み込ませ、血肉化してきたものだからです。

 ブログの多くの読者は、立ち止まることせず、性急に、拙速に評価を下そうとします。たいていは、見下してきます。また、見上げてくる人は見上げてくる人で、うわべだけ、ごく表面だけを模倣しようとするからうまくいきません。

 本当に強くなろうと思ったら、そのような態度ではならず、喩えていえば、石を自らの体内に取り込むぐらいの気合いが求められます。

 異物ですから、最初は違和感でしかないわけですけれども、七転八倒、徐々に自らの一部として機能するようになります。

 「良薬口に苦し」ということわざは、よく出来たことわざであると思います。ところが、最近は、あらゆる領域で、良薬というものが消え失せてしまいました。

 ワクチンの接種では、私の場合、強烈な副反応に見舞われましたが、あのくらいの副反応があるぐらいの取り組みでなければ、棋道は成らず。そう反省させられました。