Ⅰ はじめに感動ありきA 小括
Pピリ将FINAL
「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)
Ⅰ はじめに感動ありきA 小括
「はじめに感動ありき」という題名で、ここまで10回分を連載してきました。
これらの一連の流れの中でこだわったことは、将棋以外にも応用できるかどうか、です。
最初にも言及したように、二流の指導者は、すぐに技術論に走ります。しかし、一流の指導者は、そうではありません。一見すると遠回りかもしれませんが、原理原則に基づいて、哲学を語るわけです。
私はひところ、勝負師の書いた技術論ではない書物を貪り読んでいました。書き物として受容することにより、技術論よりも深い哲学を受け止めようとしたわけです。
すでに紹介した囲碁の依田紀基先生の著書と出会ったのもその時期でした。麻雀の桜井章一氏やプロゲーマーの梅原大吾氏の著作と出会ったのもその時期でした。
もちろん、将棋の棋士の書物も片っ端から読みました。木村義雄十四世名人、大山康晴十五世名人、升田幸三実力制第四代名人、米長邦雄永世棋聖、谷川浩司十七世名人、羽生善治永世七冠、渡辺明名人などの書物も一通り読破しました。
そのような時期を経たことによって、私の中でこのブログの青写真が浮かび上がることになったのでした。そして、私も同様に、符号に頼らない形でブログを綴っていくと、将棋自体にも進化が見られるようになったのです。
極端なことをいえば、それは将棋以外の道から将棋自体を救恤するということでした。だから、ここでも10回分を抽象論に充てたということになります。
ここまで述べたことを簡潔にまとめておきましょう。一言で約言すれば、感動して繰り返せ、ということでした。しかも、その繰り返しを退屈だとか意味がないとか飽きるだとか言い訳するのではなく、感動の大きさとさまざまな工夫によって乗り越えることに意味があるのだということを説きました。
最後に、謙虚になることの重要性に及び、ひとまず一章をなしたつもりです。
以前に書いていたブログは評判になった一方で、無理解や早合点による抵抗も多く、驚かされました。本当に人間という生き物は怠け者なんだなということをつくづく思い知らされたと言い換えてもよいです。
ただし、そのような読者を批判する意図はありません。ただ、ありのままをそう受け止めているというだけなのですから。読者が求めているものは、「努力せず楽ちんに最短ルートで強くなる方法」です。そのようなものがあれば、とっくにその方々は強くなっているでしょうが、そんなものがないことはノータイムで見破るべきなのに、それができないというところに呆れている。ただ、それだけのことです。
せめてお願いしたいのは、そのような怠け者タイプの方は、このブログを読まないか、せめてそっとしておいてほしい、ということです。議論するだけお互い無駄ですから。そういうわけで、これまで読者限定ブログを続けてきました。また、炎上するようなら、すぐさま閲覧禁止とさせていただきます。
他方、素直に強くなろう、強くなりたいという方にお願いしたいのは、批判する前に言われたとおりにやってみてほしいということです。実地に試してもみないで、文字面だけで分かった気になるのは、先ほどの怠け者評論家タイプの方々と同類です。実際にやってみていただければ、この方法がいかに優れた方法であり、着実に成果に結びついていくということがおわかりいただけるものと確信しています。
はじめに感動ありき。将棋指しには、残念なことに、心の汚れた方、物の見方をこじあせひねくれた方、性格の曲がった方が、昔も今も本当に多いというのが半生を通して得てきた実感ですが、しかし、そうでない方も増えてきているので、このブログではそうではない将棋を目指しています。
そうはいっても、頭のてっぺんからつま先まで、ただキレイゴトだけを並べるということでは決してありません。はじめとおわりさえよければ、それでよろしい。プロセスは、当然、地獄を通過します。泥沼にお釈迦様の蓮の花が開くように、汚いところからでも清浄なものを拾い上げたいという一念です。