Ⅲ 盤外こそわが戦場A(1)

Pピリ将FINAL

 

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「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

Ⅲ 盤外こそわが戦場A(1)

 「盤外戦術」という言葉がありますね。

 しかし、私に言わせれば「戦術」という言葉では弱すぎる。せめて「戦略」、すなわち「盤外戦略」と名づけなきゃ。

 プロ棋士の方々は、盤上没我でもよいのかもしれません。というより、そうでなければいけない。しかし、われわれアマチュアは、盤上と言ったって、盤面にあるのは、芸術でもなければ緻密でもなく、何度目を擦ってみても、救いがたいヘボ将棋が現前するだけで、誰かにグチャグチャとされれば、腹は立つかもしれませんが、何か具体的な損失が出るということでは一切ありません。再現できないこともしばしばで、記録に採ったところで後に参照されることはない。要するに、どうでもよいものです。プロ棋士が見たら、あくびが出る局面だらけで、便所の落書きのようなものなのです。バンクシーの画のようなわけにはいきません。

 アマチュアが考えなければならないのは、アマ部分ではなく、プロ部分。私たちアマチュアは、プロからしたらどれだけお世辞を言われたとしても永遠に舐められた存在のままですし、永久に見下されっぱなしでしかるべき「虫けらども」です。つまり、将棋で勝負してもしょうがない。私たちが勝負すべきなのは、将棋ではなく、盤外の部分。つまり、プロ棋士よりも卓越する部分を伸ばしていくことです。

 それはひいては、将棋界のためにもなる。裾野を広げなければ、いくら将棋が強い棋士といえども、生活していくことはできないでしょう。われわれファンは、強い武士集団である棋士たちを、簡単に兵糧攻めにして飢え死にさせることができます。その反対に、プロ棋士のピラミッドを支えると同時に、ファンも含めた拡張した将棋界を潤し、皆をハッピーにすることができるのも、私たちファンなのです。

 同じことは政治の世界にも当てはまるはずですが、それはともかく、将棋界も昔と比べてずいぶんと変わってきました。まだまだ将棋そのものに比すればアマチュアにも程があるとはいうものの、将棋の普及やファンの拡大にプロ棋士も、ファン自らも力を入れはじめ、かなり理想的な状況を迎えつつあるのではないかと見ています。

 話を戻すと、われわれアマチュアが考えなければいけないのは、アマ部分ではなく、プロ部分。もし、われわれがオセロの石だとして、黒面が将棋で、白面が仕事だとしたら、私たちは両面を生かす必要があります。

 ところが、皆、依怙地になって、黒面のまま、ひっくり返ろうとせず、ゆえにゲームが進展しない。将棋に強くなることも大事なことですが、しかし、その肝心の将棋は強くならないし、将棋よりも得意な面、長所を将棋界のために発揮することもないというのでは、本末転倒でしょう。

 もし、あなたが政治家なら、将棋なんて指していないで(指してもいいけど)、将棋界のためにできることをするべきです。もし、あなたが弁護士なら、作家なら、プロデューサーなら、教師なら、美容師なら、着付師なら、アイドルなら、学生なら、・・・・・・。挙げていくとキリはないのですが、ともかく、あなたの本業で輝き、その本業を生かして将棋界を側面支援、後方支援すべきだと主張しているわけです。

 これが私の盤外戦術、否、盤外戦略の基本的な方向性。その上で、ついでに将棋も強くなってしまおうというのが、この盤外戦略の小ずるいところかな。

 そういえば昨夜、テレビで山本周五郎原作、黒澤明脚本の映画『雨あがる』を見ました。主人公を演じる寺尾聰の力の抜けた演技が、たいそう好印象でした。剣も将棋も、同じ。何かに執着すると、うまくいかない。

 剣も人間性も卓越しているのに、なぜか仕官に向かない主人公に目を凝らすと、不思議と不条理な世界の全貌が立ち現れてくるから、面白い。