Ⅱ 二者択一は選ぶなB 持ち時間(4)
Pピリ将
「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)
Ⅱ 二者択一は選ぶなB 持ち時間(4)
連敗したら、やめる。2種類の持ち時間を掛け持ちする。
「たったこれだけのことなのに、できないのは、なんでだろう?」
答えはカンタン。「頑固」だから。
上達するのに最も必要なこと。それは「素直」であることです。
親の言うことは聞かない。先生の言うことも聞かない。
けれども、私の言うことなら聞くという教え子が時々います。
昨日も、そういう相談を保護者から受けました。
結論からいうと、こういう子は、伸びます。軸があるから。したがって、案ずる必要はありません。
指導者側も、こういう子を前にすると、気合いが入るんですよ。信じられているとわかるから、それに応えようとするわけですね。
さて、時間というものは、目に見えないものです。したがって、コントロールするのが非常に難しい。どんなに優秀な人でも、時間管理が完璧という人はいません。それほどまでに時間というのは得体のしれないものだし、難物であると言えそうです。
まずは、このことを確認するところから始めなければなりません。はっきり言いますが、将棋と時間、どちらが難しいかと問われれば、私には答えることができない。両者は質が違うからということも勿論あるけれど、どちらも難し過ぎて、私ごときには見当がつかないのです。
したがって、将棋と時間のそれぞれの深淵に対して、素直であることが大事だということを言っておくに止めます。間違っても、両者を二者択一にしてはいけません。
藤井聡太先生も、最近は時間を意識するようになったと聞きます。デジタルの時計を持ち込んでいるとか。若いうちは、時間を意識しないのが普通ですが、あれだけ長い持ち時間のタイトル戦を多く経験するようになると、考えるところもあるのでしょうか。さすがです。
トップ棋士は皆、時間の使い方も一流とはよく言われるところ。NHK杯などを見ていても、きちんと考慮時間を残しています。
羽生善治先生などは、長いこと、盤外でも秘書・マネージャーなしにスケジュールを管理してきたと言います。将棋がすごすぎて誰も驚かないのかもしれませんが、私にしてみればこちらのほうも将棋に匹敵するほど驚きであり、両者に相関関係があるのではないかという推察を始めてみたくなります。
よく言われることとしては、暇な人間には時間管理はできないということ。これはそうだと肯います。忙しいから、何とかして、やりくりしないといけないわけですから、当然でしょう。
この考えでいくと、私たちが上達するために真っ先に始めなければならないことは、忙しい環境に身を置く、ということかもしれません。
実際、私自身も将棋の大会で優勝したころは、仕事の忙しさもピークでした。2つの会社を兼業していたので、字義通り、普通の人の2倍は働いていました。そのような中でも将棋の時間をキープできたがゆえに栄光もあったと、今なら振り返ることができます。
しかも、そこで盤上の持ち時間管理も徹底することができた。あの環境だったから会得できた技術ということができそうです。
忘れていましたが、当時はブログを毎朝、更新していました。これも驚異的なことで、今の私にはできないことです。今の私が当時の私に敵わないのは、年齢のせいだけでなく、環境の違いなのかもしれません。
当時の自らに憑依してアドバイスするとしたら、まず日常生活や社会生活をやや忙しめに過ごしながら、しっかりと充実させる、となるでしょうか。
「ヒットの延長がホームラン」という言い方になぞらえると、日常の時間管理の延長が将棋の時間管理につながるということ。
将棋のために仕事を辞めて、将棋道場を開設する人がここ数年で爆発的に増えました。しかし、将棋三昧の人が必ずしも、将棋が強いわけではない。これは逆説でもなんでもありません。
実戦ばかり。盤上没我。その感覚が麻薬のように気持ちがよいものだから、それこそ湯水のように、ジャブジャブ時間を投入して、日が暮れてしまう。そのことに感想戦、すなわち反省することもなく、翌日も同じことを繰り返す。
かつてはそうだったので、羨ましいとは思いますが、しかし、これでは一生、上達しないんだろうなと、今では超・冷めた目で見ることができるようになりました。
二者択一は、選ばない。この原則は、実はこういうところにもしっかり当てはまってしまうのです。
もし10分切れ負けに挑戦しているのなら、時計なしに散歩へ出かけて、ちょうど10分または20分で戻ってくるという訓練でもしてみてはどうでしょう?
脳内将棋盤も大事ですが、体内時計も大事ですよ。腹時計だけでは、心許ない。
ともあれ、将棋の時間とそうでない時間の差を埋める。
常に時計を見ず時計を意識する習慣をつくることが肝要です。
私のかつての将棋の研究部屋には、時計がありませんでした。これもよかったのかもしれません。集中すると同時に、「今、何時だろう?」と時間を気にすることが習慣化されたのかもしれません。
だから、将棋を研究するときは、時計をあえて室外に撤去してみるという手もあります。「今、何時だろう?」と思いながら、将棋を指すことを習慣化するのです。