Ⅳ 形勢判断を見直そう(3)
Pピリ将FINAL
「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)
Ⅳ 形勢判断を見直そう(3)
AIの評価値を見ずに、タイトル戦やNHK杯、時にはアマチュアのネット将棋の勝敗をひとめで予想するゲームにはまっています。
実際、私がピタピタと勝敗を当てていくので、家人が目を丸くしています。
ふだんの勉強では、AIの評価値も、いちおう、参考にしています。自分の判断が合っているかどうかを確認するのです。ただし、それも全面的には信じていません。実戦的な勝ちやすさ、勝ちにくさというものが、人間にはあるからです。
このこと自体は、多くのプロ棋士も口をそろえているので、あえて指摘する必要はなさそうです。
それでは、評価値と勝ちやすさをどのようにして両立するのか。これこそが最重要課題、最優先課題といえそうです。実戦的な勝ちやすさも含めて、形勢判断できるかどうか。この答えを何となくの感覚ではなく、はっきりとセオリーとして見つけた棋士が、プロでは勝ちまくっている印象です。令和の大局観、とでも呼びましょうか。
大局観というのは、大まかにつかむこと、俯瞰することが大切です。あまり細かく考えすぎると、もはや大局観ではありませんからね。
ちなみに、AIには大局観など、ないはずです。評価値がすべてで、定規は1本。ところが、人間は、評価値と大局観の2本立てで行くしかない。
私の場合は、これに時間や心理といった軸も立てるのですが、そうなると、限られた持ち時間の中で、さっさと形勢判断をしてしまう必要が出ます。
そこで、駒の損得でいえば、飛15、角13、金9、銀8、桂6、香5、歩1という谷川先生の旧版の点数を用いて割と細かい損得を計算しもするのですが、しかし、この点数に自分なりに秘伝のアレンジを加えていることは、前に述べました。
これと同時にクイック簡易形勢判断を重ねます。この簡易版は、私独自のもので、どんな局面であっても1秒で判定、査定ができるすぐれもの。しかも、大きくズレたりしない。
PCR検査も、速度が命で、時間がかかるようだと対策として使えません。また、誰でも気軽にできなければ意味がないのですが、私の簡易版形勢判断法は、一瞬で割と正確に、しかも誰でも特殊な訓練なくパッと、ひとにらみで使えるのです。
ヒントを与えると、最初はイーブンですが、徐々に駒の損得がついていきます。それを大きな交換と小さな交換に大別し、小さな交換なら互角、大きな交換なら片方が有利と判断します。
ここでいう大きな交換とは、極端な交換のこと。たとえば、飛と歩の交換は大きな交換です。このような極端な交換に注目し、形勢を判断するのです。ただし、ここからが重要なのですが、飛車を取ったほうが有利というような判断はしません。そんな判断なら、誰でもできますから。そうではなく、歩を取っただけなのに、歩を取った側が有利になるという例外的な局面をひと目で判定できるかどうかが、この形勢判断法の肝です。
一歩千金といいますが、どのようなときに千金となり、どのようなときに石ころなのか。それを見極めるのが大局観というものでしょう。
従来の形勢判断では、これをどうにかするために、駒の効率だとか手番だとかを重視してきたのですが、もちろん、それも大事には違いありませんが、もっと大事な要素を見落としているということに私は気づきました。
これに気づくために、多くの自他の対局を分析し、仮説を立てる必要があります。仮説を立てたら、ふたたび多くの自他の対局を参照して、仮説の真偽を論証していくことが求められます。
アマプロ問わず、それがわからないから苦労するわけですが、駒損しても勝つことはあるのが将棋の面白いところであり、そこに将棋の何かしらの真理が詰まっているというのが私の着眼です。
よく逆転という言葉を使いますが、私から言わせれば、将棋には相手のミスにより拾うといった逆転ももちろんあるものの、そうではなく、そもそもの形勢判断が間違っているために逆転に見えるものもあります。後者の場合、形勢判断を矯正して対応しなければ、負けが増えるばかりなので、深刻ですし、重要な問題と言えましょう。
藤井聡太先生の将棋には、飛車を捨ててしまうような妙手が多く出てきます。これは他の棋士が新しい形勢判断法をまだ手にしていないから起こる現象です。飛車を軸にせず、おとりにして勝つ戦術は、かなり昔からあるのですが、それがどのような条件で実現するのかということを自覚できている棋士は、今のトップ棋士の中でも指折って数えることができます。私の観察では、藤井四冠と渡辺三冠のわずか2名だけのように見えます。
そんなに生意気なことを言うのなら、お前はプロにも勝てるんだろうな?
こうお叱りを受けそうですが、残念ながら、この大局観を実現するための基礎力が決定的に欠けているので、それができずにいます。
しかし、せっかく悟りを開いたので、行けるところまで行ってみようという気持ちにあることはたしかです。