Ⅲ 盤外こそわが戦場A(3)

Pピリ将FINAL

 

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「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

Ⅲ 盤外こそわが戦場A(3)

 

 「満は損を招き、謙は益を受く。」

 

 中国の古典『書経』の一節。

 これは、傲り昂ぶり、自己満足に陥ることは危険で、もっと謙虚であらねばならぬ、という教えでしょう。

 『易経』でも『書経』でも、中国の本当に古い古典は、謙虚というものを最高の徳と考えていた節があります。

 私が盤外戦略を説く理由も、ひとえに「謙虚」というところにかかってきます。

 プロの九段であろうが、アマの九級であろうが、面構えが違い、立ち方歩き方が違うかといえば、そんなに大差はありません。プロの九段でも下品な方もいらっしゃるかもしれませんし、アマの九級でも人間として立派な方も多くいらっしゃることでしょう。同じ人間なのに、上下だ、貴賤だとは、嘆かわしいかぎり。

  このように言うと、謙虚さに欠けるように思われるかもしれませんが、その逆。地位や肩書きで威張ることを諫めているのであって、九段という地位を貶めているのでは決してありません。

 九段という最高位にのぼりつめるのは、縁や運、才能も含めた努力があればこそであり、将棋を愛好する者として当然、尊崇の念を抱いています。

 ただし、ここでも二者択一を選ばない方針を貫く。九級であっても、九段と同じぐらいに縁や運、才能に恵まれ努力してきた世界があるのであれば、私は尊敬しますよ、という、ただ、それだけのお話。

 将棋が強いから大威張り、将棋が弱い者を見下す。私は将棋は大好きですが、このような構造と意識しない中にかいま見える無意識が、昔から大嫌いです。たまたま健康に生まれ、たまたま将棋に専念できる環境下にあったからといって、威張れたものではない。そう考えるから、謙虚ということを思わずにはいられないのです。

 強い者ほど謙虚であってほしい。そう願ってやまない者です。私が強くなりたいのは、弱い期間が長くて、強い者の立ち居振る舞いが気にくわなかったから。つまり、威張りたいからではなく、その逆に、謙虚である人もいるということを示したかったからに他なりません。

 私が気に入らないのは、男尊女卑の風土。私が生きている間に、このような下品な風習は一掃されればよいのにと希望します。もちろん、将棋界だけではありません。すべての分野で、そうなればよいと思います。

 強い男性、頭が良く優秀な男性、運動神経の高い男性、優しく思いやりのある男性、社会的に地位のある男性、仕事のできる男性、家庭的で率先して家事や育児をやる男性、特殊技能を有する男性、こうした男性が、それぞれ女性を見下さないことを切望します。

 指導者たる者、女性の棋士を育てましょう。男性の強い棋士を育てても、威張ってはいけません。女性の棋士を育ててこそ、一流だと考えます。

 どうして、こんなにも女性を大事にするのか。フィミニストだから? 否。人類の半分を味方につければ、評判が上がり、儲かるという打算から? 否。

 理由は、以下のとおりです。もし興味があれば、続きも読んでみてください。

 

 

 「井の中の蛙」という言葉があります。

 最強の地位を維持したければ、周りに弱い奴を集めるに限る。そして、強い者を排除する。そうすれば、永遠に無敵だ。

 差別というのは、誰も口に出しては言わないけれど、その深層を探れば、すべて、このような発想に根ざしています。

 女子を差別するのも、人種を差別するのも、学歴や職業で差別するのも、貧しい者、ハンディキャップのある人を差別するのも、根源はみな、同じ。ライバルを減らすことで、自己を浮揚したいだけ。

 このような男性原理で動く者すべてを、私は軽蔑しています。なぜなら、私は周りのほうを強くして、その中で自らも浮揚したいと願っているから。

 きれいごとと笑われるかもしれませんが、きれい/汚いではなく、周りが強ければつよいほどワクワクするという、ただそれだけのシンプルな動機です。

 タイガー・ウッズが18番ホールで相手を応援しプレイオフを望むのも、羽生善治が相手の不甲斐ない指し方に怒るのも、アニメの孫悟空が相手が強ければつよいほどワクワクするのも、みんな同じ心性に発するものでしょう。

 加えていえば、みんなで成長しようとする雰囲気が好きなんですね。クローズドではなく、オープンに上達法などを交換しあえる雰囲気とでも言いましょうか。

 喩えると、自分だけテストで出題される問題を知っているとして、クラスで1番になるのと似ています。そんなことして1番になっても、面白くも何ともありません。まして、それで威張るなんて、意味がわからない。そんなことをするぐらいなら、皆に周知して、それでも1番になってみせるというのが、私の好みです。これは大昔から一貫した好みなので、私の性格なのかもしれません。

 話を戻すと、クラス全員が将棋を指せて、その中で1番になりたい。要するに、そういうわけです。そのために、女性や外国人にも将棋を普及し、その中でチャンピオンを決めるということが好ましい、と。

 現在の序列1位は、藤井聡太先生ですが、本当に彼が1位なのかどうなのか。屁理屈に聞こえるかもしれませんが、大真面目です。潜在可能性ということでみれば、まだルールを知らない人の中に、真に強い人、才能のある人が眠っていてもおかしくないと思うのです。全ての学校で必修科目にして、賞金が今の100倍ぐらいあれば、もっと強い人が現れる可能性は十分あります。

 私などは一末端分子にすぎませんが、今の状況に満足せず、将棋界はまだまだだ、これからだ、というふうに、謙虚でありたいと思っています。そして、将棋界が謙虚であるために最もわかりやすいのが、女性への普及だと考えているわけです。

 男子1人が香車だとしたら、女子1人はと金の価値。歩でも裏返せば、金になると思って、もっと心から大切にしましょう。

 私が生きている間に、女性の棋士、タイトルホルダーが誕生して、女流棋士が今みたいなホステスみたいな役割でなくなる日の来ることを祈ってやみません。