Ⅱ 二者択一は選ぶなA(1)

Pピリ将FINAL

 

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「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

Ⅰ 二者択一は選ぶなA(1)

 「二者択一は選ぶな。」これは何ごとにおいても、重要な教えです。

 「Aなのか? それとも、Bなのか?」

 この答えは、その中身によって、変わってきます。

 たとえば、「電気ショックで死にたいか? それともギロチンで殺されたいか?」と問われれば、「そもそも死にたくも殺されたくもない」という答えになるのが普通かと思います。

 ところが、ここまで極端な問いでなければ、人は割と安易に二者択一の罠にひっかかります。

 「ビーフ・オア・チキン?」

 「牛肉も鶏肉も食べたくない」という時だってあると思うのです。しかし、「電気ショックかギロチンか」という場合ほど極端でないので、ついつい妥協して、「ビーフ、プリーズ」とか、「チキン、プリーズ」と答えてしまうのが、人間の悲しい性です。

 そこで、私は「どちらも食べたいです。」「どちらも食べたくないです。」と答えてほしいと願って、次のことを書いていきます。

 「あなたの欲望に忠実であれ。」

 「あなたの欲望を単純化するな。」

 前者は、ついつい我慢をしてしまうタイプの人間に向けられたアドバイス。外部からの規範に緊縛されてしまうドMのあなたは、本当にやりたいことが何なのか、心の欲するところに忠実になる訓練が必要です。

 たとえば、将棋を指しているときに、金と銀のどちらかがもらえるとしましょう。しかし、本当にほしい駒は桂馬だとする。そういうときは妥協せず、金にも銀にも目もくれず、桂馬を取りにいく必要があるわけです。

 後者は、自分の希望を小さくされても満足してしまうタイプに向けられたアドバイス。122万円もらえるところを、きりよく100万円でもよいと簡単に諦めてしまうお人好し潔癖タイプのあなたは、中途半端でも得できないか、貪欲になる訓練が必要です。

  たとえば、将棋を指しているときに、桂馬を手に入れると同時に、ちょっと工夫すれば一歩もしくは一手を得できる手順があるとしましょう。そういうときに、桂馬だけを手に入れてホクホクしているようでは甘い。そういうときは、いただけるものは全部いただいちゃうという精神でいかなければ逆転されてしまうでしょう。

 将棋には「両取り逃げるべからず」という格言がありますが、これなどはAでもBでもないCという手を発見するヒントとなります。

 将棋指しは、多くの手を捨てて一手を選ぶということを当たり前に繰り返してきた人種なので、二者択一を決断よく選んでしまう習性が身についてしまっています。

 しかし、将棋の手は仕方がないにしても、盤外の思考においては、それが祟ることもよくあるというのが、このブログの洞察です。なぜなら、抽象的な思考においても、日常生活においても、二者択一を選ばなくてよい場面が非常に多いからです。

 広大なグレーゾーンが広がっているのに、白か黒かをはっきりさせてしまうことは、かえって悪手となることも多い。にもかかわらず、あえてそれを選んでしまう。もったいないことです。

 たしかに、将棋は自分の手番では一手しか指すことができません。ところが、私たちの日常では、必ずしもそうなっていない、という当たり前のことを、私たちはもっと直視すべきではないでしょうか。

 たとえば、会話でも、私がしゃべって、相手がしゃべって、私がしゃべって、と交互にターンを回すのが基本ではありましょうが、相手が一方的にしゃべり、こちらが聴き手に回ることもありますし、二手指ししたほうがよいことだってよく起こるわけで、将棋ほど厳密なルールがあるわけではないのです。むしろルールを逸脱したほうが創造的で、愉快なことも多い。

 将棋指しは全員、頭がおかしく見える。もう少しマイルドに言い換えると、常識や良識のある方々から見れば、そのように見えてしまう側面があるということ。あえて言っておきたいと思います。

 これは、なにも人格を攻撃しているのではありません。将棋盤の上で起こっていることと、盤外で起こっていることではルールが違う。いや、それどころか、正反対になっているところが多いというほどの意味に過ぎません。

 つまり、喧嘩を売っているわけではないですし、悪気もないのですから、「将棋指し」の代わりに、「科学者」「技術者」「職人」などと言い換えても差し支えないと思います。ある意味、褒めていますし、ある意味、貶していますが、それは異なるルール間の交通に関する議論をしたいだけで、炎上したいわけではありません。

 もし、ここまでの議論にそれなりの説得力があると受け止めていただけるのなら、そこで提案したいのが、将棋そのものに関する議論と、将棋の周辺にかかわる議論は分けてしまいましょう、というもの。

 いうまでもなく、将棋の上達法は、後者に属すると考えています。