Ⅰ はじめに感動ありきA(1)

Pピリ将FINAL

 

f:id:Shouldgo:20180205143357p:plainf:id:Shouldgo:20180205143357p:plainf:id:Shouldgo:20180205143357p:plain

 

「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

 

Ⅰ はじめに感動ありきA(1)

 二流の指導者は、技術論から始めます。フォームの話をしたり、トレーニングのメニューを組んだりするところから、スタートします。

 しかし、一流の指導者は、必ず感動づくりから始めようとします。どうすれば、選手や教え子に最高の感動をプレゼントできるかに腐心します。

 最大級の感動、しかも一生涯にわたって忘れることのできない心ふるえる体験をさせることができれば、あとは力を入れずとも自然と上達していくものだからです。タイヤを回転させるとき、止まっている状態(位置エネルギー)から動いている状態(運動エネルギー)へ転換させることが決定的に重要であるのと全く同じ原理です。

 私自身、多くの失敗体験と多くの成功体験を語ることができます。

 たとえば、幼いころに習っていたヴァイオリンに関していうと、当初は1ミリとして楽しいと思ったことがありませんでした。非常に有名な先生に師事していたのですが、ヴァイオリンのレッスンは、はっきりいって、苦行以外の何ものでもなかった。「音を楽しむ」と書いて「音楽」なのに、幼少のころの私はその肝心の「音を楽しむ」ということがわかっていなかったし、教えられることがなかったのです。

 おそらく皆さんにも、そのような経験があるのではないでしょうか?

 このような状態では、どんなに努力したとしても2位どまりで、それ以上には進めません。まるで神様がそのように世界を創造したかのようです。

 興味深いことに、二流の指導者は、感動から始めないだけでなく、ガミガミと口うるさいという特徴を持っています。口だけでなく、手まで出てしまうのは、二流や三流という話ではなく、指導者失格。

 断言しておきますが、「勉強しなさい」と口やかましい母親から、秀才が輩出することはありません。にもかかわらず、多くの教師や保護者は、「勉強しなさい」を口癖にしている。あの呪文には一体、どのような効能があるのでしょうか? 言うほうも疲れるし、言われるほうも心が折れると思うのですが、私の頭のほうがおかしいのでしょうか?

 「北風と太陽」という物語を、皆さんもきっとご存知かと思います。旅人にコートを脱がすのに、北風を吹かせると逆効果で、ポカポカとあたたかい日光で照らすことが最良の方法であることを教えてくれる最良のアレゴリーと言えます。

 一流の指導者は、このことをよく知っているので、選手や教え子が萎縮するような教え方を多用することがありません。基本的には、選手や教え子がリラックスさせるような教え方を好みます。そのほうが高い効果があることを熟知しているからです。

 二流の指導者の方法は、エネルギーだけ浪費して、成果が十分にあがらないという欠点があります。しかし、一流の指導者の方法だと、ほんの一瞬で、魔法をかけたように成果が出るから不思議です。ここにはもちろん、最初の「感動」の持続と共有があることはいうまでもありません。

 それでは、「詰め込み教育」と「ゆとり教育」はどちらが優れた教育か? このように問われたら、皆さんはどのようにお答えになりますか?

 二流の指導者は、「詰め込み教育」と答えるでしょう。それでは、一流の指導者は、「ゆとり教育」と答えるか?

 否。そうではありません。一流の指導者は、このような二者択一の問いには、そもそも答えないからです。

 どうして答えないかというと、「詰め込み教育」には「詰め込み教育」の長所と短所があり、「ゆとり教育」には「ゆとり教育」の長所と短所がある、というふうに考えるからです。一流の指導者は、表に貼ってあるラベルなどに惑わされることはなく、その内実の一つひとつを細かに見極めるのです。

 ただし、初学者の最初期の段階ということに限定していえば、「ゆとり教育」ということになるのは間違いのないところでしょう。

 もし、あなたが伸び悩んでいるのだとしたら、それは「感動」が欠如しているからです。

 

・あなたは、どのような点に魅了されたのか?

・あなたの立てた目標は、具体的にどのような感動と結びついているのか? 

 

 恋愛も、最初は大きな打ち上げ花火のように大輪の花を咲かせます。しかし、それは次第に、もしくは急速に、しぼんでいく。そのしぼんでいくのを再び復活させるには、最初の「感動」を取り戻すことによってしかありえません。途中でうまくいかなくなったときも、あなたの原体験、感動体験に戻ることが重要です。

 すべての人にとって原点は、感動にこそある。このブログをはじめるにあたり、冒頭にそう主張しておきたいと思います。