Ⅱ 二者択一は選ぶなA(7)

Pピリ将FINAL

 

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「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

Ⅱ 二者択一は選ぶなA(7)

 万能薬など、存在しない。とすれば、二者択一を選んだほうがよい場合も、ないわけではありません。

 私が考える例外は、ただ1つ。それは先生、お師匠さんの問題です。

 「船頭多くして船山に上る」ということわざのとおり、先生が多すぎると、生徒は混乱して、良いことがありません。これは本当にいろいろなところで実感しています。

 すでにたくさんの優秀な先生がいるにもかかわらず、私まで雇おうとする。プロ棋士やアマチュア強豪などを集めておいて、さらに私も呼んで、いったい何がしたいのか?

 現在、予備校に通わせている生徒さんを、別の予備校講師である私がさらに重ねて教えるという経験もしましたが、しばしば両者の間で食い違いが起きます。どちらが主で、どちらが従かをはっきりさせないと、混乱しか残りません。

 教育に、先生のオールスターは不要。カリスマが集まれば、かえって厄介ですから。

 もちろん、私には多くの先生がいましたし、誰でも複数の先生に師事するものだとは思います。しかし、ここでも、いや、ここでこそ「中軸」が最重要で、誰が「ビッグボス」なのかを、はっきりさせることが求められます。

 教師陣は、ある目的のために、組織され、編成されている必要があります。プロ野球でも、フロントがあり、ビッグボスがいて、それぞれのコーチがいるというふうに、役割分担がなされ、組織され、編成されるでしょう。そうでなければ、複雑な機構のマシンというだけで、機能しない粗大ゴミに等しい。

 参考書についても、同じ理論が適用できます。将棋の本をあれこれ買って満足している人がいると思います。しかし、これはダメ。あれこれ買ってもよいが、取り組むべき本は1冊に定めるべきです。1冊の本をボロボロになるまで何度も繰り返して取り組む。

 あれこれ買うぐらいなら、1種類の本をあえて2冊買ってきて、自宅でも職場でも取り組むぐらいの姿勢でなければ、物になりません。

 最初から1冊が難しければ、1章でも、1頁でも構わないので、とにかく1つの「先生」に集中するということは、覚えてほしい。

 これは、要するに「恋」と同じ原理なのですね。「はじめに感動ありき」というのは、そういうことなのです。1つの人物に惚れ込む。これがなければ、そもそもの「軸」が定まらないので、二者択一うんぬんの議論も成立しないというわけです。

 10人の敵に取り囲まれたとしましょう。1対10では、勝てるわけがない。そこで採るべき作戦は、9人は無視して、1人だけをボコボコにすることです。半殺しにします。無視して、といっても、後で相手はする。だから、とりあえず、1人だけに集中するというほどの意味。実際は、実際には遊びなのでしょうから、相手はビビって退散してくれますが、いちおう後で相手にするつもりではいます。

 もし好きな人がいるのならば、その1人に集中すべきです。もし、万が一、幸か不幸か、もう1人好きな人ができてしまい、しかも二股をかけるしかないという状況になったのであれば、どちらが本気で、どちらが遊びかぐらいは決めておかないといけないでしょうね。

 例えは不適切かもしれませんが、言いたいことは、ただ1つ。このような「覚悟」は大事ですよ、と。

 どんな先生でもよいとは言いません。どんな本でもよいとも言いません。しかし、自分自身が「これだ」と決めたら、その瞬間から、その先生、その本が最高の先生であり、至高の本ということにならなければならないのです。