Ⅲ 盤外こそわが戦場B 実戦以外(6)

Pピリ将FINAL

 

f:id:Shouldgo:20180205143357p:plainf:id:Shouldgo:20180205143357p:plainf:id:Shouldgo:20180205143357p:plain

 

「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

Ⅲ 盤外こそわが戦場B 非実戦(6)

 「実戦を指さなきゃ、生きている意味がない」と難癖つけていた御仁も、そろそろ実戦断ちは、板についてきましたでしょうか。

 頑固な人は、伸びません。素直な人は、伸びます。これは間違いありません。

 もちろん、誰彼かまわず素直だと、欺される恐れもあるのでご用心ですが、この人についていこうと決めたなら、たとえ火の中水の中、飛び込んでいく覚悟を持ちましょう。本当に強くなりたいのなら、信じてついてきたまえ!

 「実戦を指さなきゃ」と難癖をつけている御仁は、実はヤバい人。まず、そのことに気づいたほうがいい。どうしてかというと、将棋はもともと戦争ゲーム。

 だから、これは史実かどうかわからないのだけれども、まことしやかに回想しているところによると、敗戦後にGHQが将棋を取り締まろうとしたとき、升田幸三先生が「捕虜を生かす思想」とかなんとか言って難を逃れたと伝えられるわけです。

 つまり、「実戦を指さなきゃ」というタイプは、極論すると、シミュレーションに満足できないタイプ、ということを意味してしまいます。やがて、将棋どころでは満足できず、戦争に突入するということにもなりかねません。

 そうでないとしても、相似形であることはたしかで、将棋は実戦ではなく、事前の研究などの準備によって強くなるという、このブログの思想とは相容れない。

 将棋3大上達法の1つにして、このブログがイチオシの高速棋譜並べの真価は、ここと関わってきます。棋譜並べは、理屈っぽくパラフレーズすると、「戦争」の代理表象であるところの「将棋の実戦」のさらにまたその代理表象ということになるわけですが、そこにどれだけ全力でコミットできるかどうかが問われるわけです。

 実戦さながらに感動できるかどうか。実戦か棋譜並べかという二者択一を超克できるかどうか。そのようなことが問われているわけです。

 詰将棋のように、棋譜を見ただけで、脳内でクリアに並べて鑑賞することができるよという人は、そもそもこのブログの読者としてふさわしくありません。しかし、大部分の読者は、そうではないはずで、そうであるなら、以下の記事も参考になることでしょう。詰将棋のように手数が短く、エリアも狭いものは、脳内将棋盤づくりの入門にはちょうどよいものの、さらに上達しようと意志する者は、棋譜並べに突入するしかないのではないでしょうか?

 ここでようやく盤駒を使用します。「パソコンで並べたほうが」という人は、ここまでの記事を遡って参照ねがいます。そもそもの文脈は、パソコンやスマホを遠ざけ、盤駒まで封印するという趣旨でしたので、ここでようやく盤駒の封印を解く。そういうふうにご理解いただきたいのです。

 盤駒を使用して、棋譜を並べる。高速棋譜並べについては以前に述べたので省略しますが、簡単にいうと、同じ棋譜を繰り返しすばやく並べていき、反対側の手番でも同じことを繰り返したら、符号を暗誦し、脳内将棋盤を活性化させるという、このブログのオリジナルの方法です。

 最初は補助的に盤駒を使う。その理由は、どうしても脳内と実際の盤駒では懸隔が生じるため、その懸隔をできるかぎり埋めようとしているから、と理解してください。 

 棋譜並べのよいところは、強い人に同化できるというところ。自分のセンスない将棋では永久に上達しない。だから、実戦を抑える。その代わりに、強い人の将棋をインストールし、それを指に、染み込ませ、脳に教え込むわけです。

 定跡書なども、黙読で読んでいたものを、高速棋譜並べと同じ要領で並べてみてもよいでしょう。

 ともあれ、全体の構図を再確認しておくと、

 戦争>戦争の代わり=将棋の実戦>将棋の実戦の代わり=棋譜並べ>棋譜並べの代わり=脳内将棋

ということになるでしょうか。この「代理」部分を鍛えつつ、必要に応じて、1つ上の審級を参照するというのが、これらの方法の根底にある考え方、哲学です。

 ただし、本物の戦争だけは回避したい。おっと、このブログの範囲を超えて、平和の思想まで見えてきましたね。

 「戦争」のところは、さしあたり「人間の器」という言葉でも代入しておいてください。かつての私はいざとなれば、喧嘩や競争も辞さずという、それなりにはヤクザな男でしたが、しかし、現在は喧嘩という手段をとることはほとんど無くなってしまいました。まさしく将棋の効用、といったところ。