Ⅲ 盤外こそわが戦場A(5)

Pピリ将FINAL

 

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「3姉妹ピリ駒ちゃん」(制作:びわのたねさん)

 

 

Ⅲ 盤外こそわが戦場A(5)

 表と裏、男と女、そして、隣。

 この続きは、後ろ、にしましょうか。

 人間の目は、草食動物とちがって、前についていて、前しか見えません。視野が狭いのも、生物学的な問題が根本。

 そうすると、必然的に後ろが弱点になります。「志村、後ろ」が思い出される今日このごろ。分からない平成生まれの方、ごめんなさい。

 自動車の運転も、バックのほうが難しい。仮免のころ、私は親に広い造成地に連れて行かれ、バックの練習ばかりを課せられましたが、今にして思うと、感謝しかありません。後ろはよく見えない上、いつもの前進とは反対に感じてしまうなど、身体感覚的にも厄介。

 一例として、高速道路を全車両がバックで疾走する図を想像してみてください。たぶん想像するのが難しいのではないでしょうか。巨大な商船に自動車を積み込む仕事をしているなど、特殊な技能の持ち主でないかぎり、自動車の運転にも、まだまだ開発の余地があるということです。

 さて、将棋の駒には、前進できないものはありません。これはこれで1つの発見ですが、裏を返すと、退却できない駒と退却できる駒があるということでもあります。二者択一を選ばないことを心がけておくと、こういうことをやわらかく思考することができるんですよ。

 前進しかできないのが、歩・香・桂。だから、よく考える必要がある。バックできるのは、銀・金・角・飛・玉。

 この中で、銀という駒が貴重なのは、引くことができるから。

 金は1方向(真後ろ)にしか下がれないけれど、銀は2方向に下がれるので、そのことを意識して指すだけでも強くなれますよ。今はどうか知りませんが、羽生善治先生は好きな駒は銀とおっしゃっていて、実際、銀の動きが多い先生という印象です。

 前進よりは退却のほうが盲点になることが多いので、私は相手のほうへ重力があると考えるのではなく、自陣のほうへ重力が働いていると考えるようにしています。

 言い換えてみましょうか。相手の駒は当然、こちらへ向かってくる。自分の駒も自分の意志さえあれば、戻すことができる。こういうふうにイメージしているんですね。

 だから、敵陣へ向かうときは逆風のイメージ。実際、相手の防御が強く、簡単には前へ進めません。

 さらにいうと、歩・香・桂がもしバックできたとしたら、というようなことも考えるようにしています。視野を広げ、後ろへの意識を持つためです。

 相手の意識は間違いなく前にある。だから、私はそれを逆手にとって、自陣への重力にさからわず、順風に乗って、自分の駒を退却させる。私が受け将棋の棋風であるのは、大山康晴十五世名人の棋譜を並べるからでもありますが、そういうふうに考え方、イメージ自体を軸として意識的に作り上げ、それを丹念に重ね塗りすることによって強化してきたからだと思います。軽い思いつきではなく、熟成させた哲学なのです。

 ともあれ、相手の予想を裏切り、引く。そして、カウンターを狙う。こういう将棋は、皆さん経験がないから戸惑うらしく、効果てきめんです。

 盤上のことを語ると、大体こういうふうになるのですが、盤外に目を向けると、どういうことになっているかというと、私は姿勢を気をつけています。具体的にいうと、後頭部や背中の意識です。

 後頭部に目があると仮定して、絶えず後ろを意識します。盤は目の前にあるのですが、そちらへ向かう意識は45%に抑え、残りの55%は後ろに置きます。前に巨大な扇風機があるとイメージし、後ろのブラックホールがそれを吸い込んでいると仮定するのです。

 そうすると、不思議なことに、盤上だけでなく、盤外にも流れが生まれます。

 皆さん、『ヒカルの碁』をご存知でしょうか? 囲碁ブームを巻き起こしたマンガです。『ヒカルの碁』には批判がありました。意訳しておくと、誰かに教えてもらうから、今でいうソフト指し的なものではないか、と。

 当時はソフト指しなどという言葉はなかったと思いますが、言われてみれば、たしかにそうかもしれません。自力でない。

 しかし、私はこの批判は2つの点で中らないと考えています。

 第1に、教育理論。後ろへ回ることは、さまざまな分野で有効と言われています。子どもに洋服を着せるから始まり、恋人へのバックハグに至るまで、後ろへ回ることはむしろ主体性を尊重する意図さえあります。 

 第2に、後ろへ意識を向かわせて、前のめりにさせない効果。先述したように、盤面を広く見渡すためには、後ろに引っ張られるぐらいが、ちょうどよい。『ヒカルの碁』は、後ろの誰かと相談しながら打つという内的対話を促進させるイメージ形成に有効です。

 というわけで、私も後ろにいる誰かと相談しながら、いつも将棋を指しています。言い換えると、後ろにゲームのプレイヤーがいて、私はゲーム内のキャラクターで、さらに私は同時にプレイヤーでもあって、駒たちを躍動させる役割を担っているという感じかなあ。

 相手の後ろには、誰もいません。しかし、私の後ろには、いつも味方がついている。こういうふうに考えると、メンタルもどっしりと安定します。

 身体の筋肉も、前ばかり意識した生活をしていると、前寄りになりがち。後ろ向きに歩くなど、運動するときも後ろに55%以上の比重を与えることが大切です。

 後ろを意識することは、防犯にも役に立ちます。物騒な世の中なのに、皆さん、携帯電話に夢中です。もっと後ろに神経を向けましょう。振り返ったら、誰かが立っているかもしれませんよ。(珍しくホラーのテイストで締めてみました。)